中学1年生の時、特別仲の良いKちゃんがいた。同じ合唱部に入り、毎日一緒に帰り、彼女の家に寄って"おやつ"などを頂いてから自分の家に帰った。彼女の家は歯医者で憧れのピアノがあった。当時何を話題にしていたのか、全く記憶にないが、優しい御母様の笑顔とKに愛情を注ぐ様が、後々まで想い起こされ、放任主義の我が母親とは余りにも違うなと、羨ましかった。
私が全寮生の高校へ進学し、結城を離れた後は、すっかりのご無沙汰であった。今年の2月に、結城の紬問屋㈱奥順の喫茶画廊"壱の蔵"で、師のシャンソンコンサートが催される事になり、2曲だけ私も歌うことに・・。魂が喜びのうちに終了し、思い掛け無くも花束を下さる方々がいて、その中に47年ぶりのKちゃんがいた。
2週間位後、Kちゃんは「帯留めを創りたいの」と、御母様から頂いたものを持って来店。シルバーの方が安くできるというと「プラチナでしたいの。良い物をしてると気持ちが嬉しいのよ」という。聞けば42歳でご主人に先立たれ、独りで息子さんを育て上げたという。本人もさりとて「御母様もどんなに辛かったろうに・・・」と念われた。
今彼女は着付け教室の副校長で着物人口を増やそうと奔走中。