①は、以前リフォームをご依頼下さったお方が、「娘達のパールのネックレスが長いので、お嫁に行く前に3個はずしてピアスと指輪を作っておきたい・・・・・」と、3人のお嬢様をお連れ下さった。お祖母様からプレゼントされたという、その3本のネックレスは花玉(最高級)で、美しい孫娘への想いが感じられたが、成程3個の玉をピアスと指輪にしたら、美しさに華やかさが増し、3人共輝いた。
②は、「喪に使うパールを・・・」とお求め下さったお嬢様が、やはり3個の玉をイヤリングと指輪に加工したのだが、3点揃う
と、品の良い方に華やかさが増した。
③は、はずした玉をずーっとしまい込んでいらした方で、「何かに成りますか・・?」とお持ち下さった。「ピンブローチはいかがでしょうか?・・・」と提案してみると、ご本人も「ネッカチーフを良くするので使う事が多いかも・・・・!!」とおっしゃり、予算の方も程良くて、加工させて戴いた。
この様なちょっとしたリフォームでも、その方に似合う様、予算に合う様、精一杯創意工夫を必要とする事なので、楽しくもあり、有り難い事と思っている。
『身につけることが無くなった指輪の下取りとペアリングの作成をお願いしたいと思います。ただ東京在住のため、なかなかそちらへ伺うことが出来ません。どの様にしらら・・・?』とメールの問い合わせに手順をメールで返信する。
雰囲気を掴む為に送付願った3枚の顔写真から、デザインを3点に絞り込んで御提案(メールにデザイン画張り付け)。やはり、思った通りのものを"良し"とお答え下さった。
シンプルなこのデザインは加工が難しく、お約束の1ケ月をすでに過ぎてはいたが、ダイヤの八角形枠の角度が気になり、もう一度作り替える事にする。『いつ頃できますか-♪♪』という優しい催促に助けられて加工を急いだ。
『さっそく、二人共着けて見ました。見ると着けるとは大違い。やはり着けてみるとデザインの素晴らしさに感動するばかりです。きっと又お願いする事になりそうです。その時は又よろしくお願いします。♪♪K♪♪』
汗だくだくのスタッフは、またまた優しい音符に助けられ、感謝感激!!感謝!
Sさんは東京のご出身で、結婚なさるまで都心でOLをなさってらしたと言う。若い時からの、目から入るものの体験が人間の感性の幅を広げるのは確かかもしれない・・・、と思わせる様な感性とリフォームに対する理解力をお持ちであった。
ご自身に似合うものと宝石の生かし方も、当店のオリジナルの品々を見渡しただけで、おおまかな方向を決めて下さり、それが的を得ていて、気持ちが良かった。
接客担当の娘の話では、ご持参の品々はお母様からの遺品であり、20年の長きに渡り看病なさったという。空虚感が拭い去られないであろう今、母親への感謝と自分へのご褒美として、リフォームしようとご主人と共に来店下さった。
出来上がったシンプルな指輪とオリジナリティー強いヘッドは、ご本人に溶け込む様に似合い、今後の人生の励みとお守りになるのでは・・・と思える。
Kさんは栃木県の真岡市から来店下さった。聞けばレストランで当店のカタログを手にし、「こんなお店が結城にあるんだー!!」と驚いたという。
なぜなら、「何とかならないかナー?、何とかしなくては!!」と想い続けてきた指輪が沢山あって、どこに依頼すれば良いやら頭の片隅に依頼先への想いが存在していたらしい。
しかもその複数の指輪達は、恐らく35年以上前であろう成人式の時に、親戚の方々から"お祝い"として戴いたという、"心こもるもの"なので、その宝石達を生かして新しく1個の指輪を創ろうと考えられた様であった。
偶然手にしたカタログには、Kさんと同じ様な思いから、手持ちの宝石達を最大限生かした実例写真が、何点か掲載されており、遠方から明るい笑顔で、何となく張り切って入って来られた。
ご自分でもよくよくお考えになったせいか、一番大きなアメジスト(八角形の)を中心にして、幾つかの指輪からはずした宝石達は下方に囲む様に配置なさったら・・・・という提案にすぐ同意くださり、「大丈夫、個性的なものをやりこなします!!」と明るくおっしゃった。
その明るさは、修正しながらの困難な制作を後押しして下さった。
ある日ぶらっとお寄り下さり、リフォームの実例集を見て行かれた御方がいた。
数日後に(before)を持参。当店のオリジナルのリングを試着しながら、「婚約リングを普段使いにしたい」ご意向でお似合いのものを、一緒に捜す。
「シンプルなものがいいんです!」
「そうですよねー!!」
と言った具合での試着に、なかなか合うものがなく、ご自身も「うーん・・・??」
「シンプル過ぎるものが似合わなくなっている様ですね・・!!実は皆さん年齢と共に似合うものが変わります!!」
と言って、少し重量感のあるものをお勧めした。
なんと、目では選ばないであろう、個性的なものが"ピタッ"と全身に溶け込み、同時に
「うわー!!いいかも!!」
と歓声。
「中央のダイヤを留める石枠は、"五画形にした方が・・・」
と図を描いてお勧め。
指輪をお納めして後、枠を売る為にはずした13ミリのパールとイヤリングの片側パールで「ヘッドを創りたい!」と再度御来店。
「当初、信用できる店かどうか下見に来たんです。」
と告白。
数日時間を戴いて、指輪と一緒に使える様にと、五画形をモチーフのデザイン画をファックスした。信用戴いた側の喜びと責任を感じながら・・・。
東京の若い御夫婦が、「おしゃれな祖母にプレゼントを・・・・とネットで捜したら、偶然にも、結城の実家の近くにオリジナルの手づくりのブローチがあるのがわかって見に来ました!!」と突然の来店。
きりすね(結城手紡ぎ糸の残糸)の製品をやっと展示し終わったところだったので「うわーすごい!美しい!」の連発に、遠方からのお客様の期待に沿えて良かった!と一息。近辺の方々も、5月9日の「母の日」のプレゼントにご利用下さい。
リフォームもメールのやり取り後、千葉県の船橋と柏から宅配の注文を受けた。ご本人の写真とA・Bを預かり、デザイン画と加工お見積りをファクスしてご意向を確かめ、デザインを決定・制作に入った。
お二人ともHPの実例をみて"信用のおける店"と感じて下さったという。この「出会いあれこれ」も、2004年からブログとして掲載、一役担っている。2007年にある雑誌社から出版の話がでたが、腹水の溜まる主人を生かす為に必死だった時期だったのでお断りした。
昨年は、タウン誌「ワッセ」を数冊抱えた新聞記者が「古河に住んでいて楽しみに読んでいます・・・」と無料の"お店紹介"記事を書いてくれた。
小さな独自の宝石店の話も、いつの間にか100回目。毎月お世話戴いたワッセ編集室の皆様と読者の皆様、これからも宜しく!!。
Aを持参して御来店下さったのは、栃木県の50歳前後のショートヘアの御方。「ダイヤの婚約リングを、ヘッドにしたい・・・」というご要望で、当社のオリジナルの見本を色々見て戴いた。「この様な感じにして下さい・・・・」と選んで下さったのは、当店がイヤリングとして開発した製品で、前面は写真に近い形であるが、薄平らであった。
当初ダイヤのみの御希望であったが、もう少し存在感の強い物でも十分やりこなせるような雰囲気をお持ちなので、失礼ながらも、ご職業や常時使用なさる時の服装等をお伺いし、売却のリングからはずす"ルビー"を使うあても無いというので、チェーン通しの上に使用する事をお勧めした。
Bを持参して御来店下さったのは、千葉県の30代の利発でさっぱりした感じの御方。「自分の使用していたパールヘッドと母から貰ったリングで何かを・・・・」と相談下さる。メキシコオパールはヘッドになさった方が・・・・とアンティークな香りと可愛らしさのある枠をお作りし、ただパールをぶら下げただけのものであるが個性的な物となった。
出来上がりを見た方々、ご依頼の時はいくら丁寧に説明しても「想像できなかった」と、どなたも同じ事をおっしゃる。
ホームページに今までの実例を多く紹介したのだが、これ程の理解を得られるとは驚きである。カタログや雑誌の写真も、「手に取ってみないとわからないであろう・・・」と秘かな諦めを持っての手段であったが、「オリジナリティーがあるのがわかった」と言う人、「感動した」と有り難いエールを下さった方々がいる。
「当店のオリジナルな指輪」は、人間の手の形とポリシーを混入したものだが、それは固定したデザインとしてお勧めするのではなく、生き方も感じ方も違い、顔も手も雰囲気も違う人達それぞれに、内面も外面も合うように仕上げている。
実例をみて感動してくださるのは、そのような流動的な努力に対してなのかもしれない。それは当店の、どこにも負けないぞ!!(喜ばせたいという意気込みで時間を惜しまない)という、全員が技術者であるから出来ることである。
このことは当店のプライドであり励みなのだが、この特徴を生かせない注文(既製品や他社のまね)に悲しみ,"安受け"して苦しむ事がある。
多彩な人々が心と技術を磨いてくださり、プロとしての誇りと人間としての優しさの間で揺れている。
Aは、「嫁ぐ娘に婚約指輪を・・・」と婿に差し出した、母親の持ち物である。
Bは、「嫁に婚約指輪を・・・・・」と息子に差し出した、母親のヘッドである。たぶん、鳩山首相の母親同様、現金を差し出す方も多いと思える。
「私は息子に何もしてあげれなかった」という縁戚の86歳の方がいる。なのに御子息は、お金に困っていない母親に「今の自分があるのはお母さんのお陰!!・・・」と賞与の時には多額を差し出すという。
「私は幸せだよ・・!長生きしたいよ・・!」とお嫁様の前に本音を投げ出している様を目の前にして、私は胸がキュンとなり、この家には〝美しき日本〟が息づいている!!と感激した。
そして、近年続けて逝った自分の両親から、返礼不可能な多くの物を頂いたにもかかわらず、この様な"親を喜ばす言葉"を聞かせなかった事を、恥じていた。
ご子息は小児麻痺の片鱗を抱えながら、東大に入り、アメリカの大学院に進んだ。金沢大学で教鞭を執っていた時、東大教授に推薦され、現在東京の駒場へ通われている。
この幸せなお方は、実は全身全霊を長きに渡って差し出されたのではないか・・・と思う。