三年前の今頃、茨城県繊維工業指導所の方々が突然見えて、「一年後の国民文化祭に向けて、結城紬のアクセサリ-を開発出来ませんか?」と提案された。
私は「糸を使った方が良いかも・・」と答えたのだが、それが布に織れずに最後に機織り機に残る糸、?きりすね?との出会いであった。
国民文化祭迄には、ネックレス・ブロ-チ・髪飾り・帯どめ・茶卓等、夜なべの制作を続行して開発した。
その肉体的に苛酷な時間を「本当に自分のすべき事なのか?」と自問自答を繰り返しては、?きりすね?という織り元のタンスに山積みされている糸の事を想って、なぜか悲しく続けてきた。
そして今年二か月前から、きりすね教室を始めた。「習いたい」と訪ねて来て下さった方、電話下さった方が現れたからである。お陰様で素晴らしい方々との出会いにより、少しずつではあるが世に出ている。