昔当店から購入頂いた、プラチナのイヤリング片側と同じデザインのブレスレットを、亡き義母様から頂いて、「ネックレスにしたい!」というご希望でご来店。
このデザインを製造していた東京厩橋にあった手造りの工場は、かつて私がデザインを納めていた、雑司が谷に工場があった御徒町の指輪会社の専務から紹介されて取引をはじめた。社長同士も友人で、双方の会社共が、品質を追求していくタイプで、日本の中に存在して欲しかった良質の会社であった。
バブルがはじけて加工代の安いマシンチェーンが”グラム幾ら”という広告で飛ぶように売れた時代になっても、当店はひたすら”手造りのチェーン”を、「いすで踏みつけてしまったとしても元に戻ります。」等と、良さをアピールし続けた。しかし価格は、同じグラムのマシン物に比べると2倍になってしまう。当然、全工程に人の手が係るものと、マシンのスイッチを入力するだけに人の手が係るのでは大違いだ。
その数年後、恐れていた事態になり、手造りチェーンの職人は消えていった。浅草で御夫婦で続けてきた、”シメナワ”という名のものだけは、その後10年位は受注出来た。
とにかく、お預かりのブレスレットと同じものはもう出来ない。イヤリングをブレスから駒をはずして完成させ、残りの部分を中央に据えて、マシーン会社で現在できる手造りのチェーンでデザインが溶け合うものを左右にセットした。年々手造りのものは消えていく。
出会いあれこれ 2014年11月号